最後までこだわった"優勝"は手に入らなかったけど
そのぶん最高の仲間と思い出を手に入れました!
今年の学ドリをだれよりも全力で駆け抜けたのが九州の大久保くん。彼の走りはうまいのはもちろんだけど、とにかく1本1本の走りがすべて全力。彼が走るたびにサーキット全体が目を向けて、成功すると歓声が上がる。走りでここまでひとの心をわしづかみにするって、D1選手でもなかなかできないだろうな。
西大会では最終的に攻めすぎがアダとなったのか、決勝戦でコースアウトして2位。ほかの入賞者が日光の統一戦への参加をとまどうなか、大久保くんだけは強い口調で「行きます、絶対」と即答。おそらく2位という結果に満足できてなかったんだろう。
統一戦のために遠征した日光でも全開っぷりは健在で、前日の走行会であっさりとコースを攻略し、雨の統一戦も決して守りには入らなかった。結果は準決勝でスピンして4位。残念ながら彼がこだわってきた"優勝"には手が届かなかった。
表彰式でドリフト侍からマイクを渡された彼は「勝ちにこだわってれば、負けたくないって思えるヤツと出会える。だからオレはこれからも勝ちにこだわるし、ここにいるみんなと学ドリ以外でも戦いたい」と涙ぐみながら勝利への執着心について語った。
学ドリは「参加することに意義がある」と思ってるヤツも多い。だけど彼はちがう。「勝つことに意味がある」と開催まえから訴えてきた。
だからこそ、統一戦前日の練習日にエンジンブローした片山くんを放っておけず、徹夜で修理の手伝いをしたんだと思う。「ライバルがいるから燃える」と敵に塩を贈ったワケだ。
見た目クールだし、走りは学生っぽくないうまさだけど、その根底にある感情はだれよりも学ドリ野郎だった。
ドリフトは楽しいものだってセンパイに教わりました
こんどはオレが後輩に教えなきゃいけないんです!
山田くんが通う大同大学は、河村真太郎、依田哲也ら名物学ドリ野郎を多く輩出した"学ドリ名門校"だ。しかしそんな大同自動車部も部員が減り、ドリフト熱も下火に…。
「このままじゃイカン!」と焦った山田くんは、学ドリを通じて大学の仲間たちにハッパをかけようと気合いじゅうぶんだった。
気持ちだけじゃない。なんと3日まえから日光に入り、学ドリ含め5日間連続で日光を走りっぱなし! 短期集中の特訓が功を奏したのか、ほかの参加者から優勝候補としてマークされるほどだった。
そして学ドリ当日。予選、1回戦を「無難にいきすぎた」とギリギリの順位で通過。すると応援にきていたOBの河村くんから「いつもどおり思いっきりいけよ」とアドバイスをもらうと、本来の目的を思い出し、2回戦は2位通過!
山田くんの走りが冴え渡ったのはここから。雨のなか無謀とも思える進入スピードで蹴ってくる!パキーンと深い角度をつけるその勢いはまさにイチかバチか。守るに入るとか、路面に合わせて調整するだなんてまったくかんじられない。
「アイツはバカだ! 最強のバカだ! 準決勝なのに!」と審査員は絶叫。まさに1本1本が見逃せない走りだった。けっしてキレイな走りとはいえなかったけど、あれほど気持ちが入った走りは見たことない。
「どうです? サイコーに楽しめたでしょ!」と表彰式でマイクを持つとニコニコの山田くんの表情に「惜しかった」なんて感情はこれっぽっちも現れてなかった。
最終的に3位という成績は、偉大なOB河村くんとおなじ順位。ふたりとも苦笑いしていたけど、結果と熱い走りが伝わったのか「新入部員がスゲー増えましたよ!」とあとから報告をくれた。
「ドリフトは楽しいんだってことを、学校の後輩やそれ以外のひとにも走りで伝えたくて!」との言葉を聞いて"学ドリ精神"を再認識させられちゃったよ。
去年が最後のつもりだったから、
今年の参加は悩みまくりで・・・
悔しさ5年ぶん、つぎのステージに活かします!
10年の学ドリの歴史のうち、最多タイとなる5回の出場を果たした山本くん。しかも5回のうち3回も決勝トーナメントに進出しているから、単なる記念参加野郎じゃない。
「まだまだハチロクもカッコいいなと思われたくて」と学ドリでも毎年少なくなるハチロクで挑戦しつづけ、去年は自己最高の3位入賞を果たし東西統一戦出場のため日光にも遠征した。
このときは満足いく走りはできなかったらしいけど、強烈なクイックモーションに東の学生は度肝を抜かれていた。そういえばパイロン王子になったこともあったっけ。
最後の学ドリとなった今年は「ギリギリまで出るか悩んだけど、応援してくれるひともいるし、正真正銘最後のチャンスだから後悔なく終わろうと思って」とドタンバで参加を決意。5回の学ドリ挑戦の集大成とも言える挑戦だった。
しかし、走り慣れている備北にもかかわらず、例年ほどのキレがなく途中の順位はイマイチ。決勝トーナメントには進出したものの、ギリギリの8位通過だった。
対戦相手はつねに全開の大久保くん。両者駆け引きナシの全開対決だったけど、この日ノリノリだった大久保くんの勢いは止められず、8位という結果で5年間の学ドリ挑戦の歴史に終止符を打った。
「悔しさも反省点もいっぱいあるけど、もうホントに終わっちゃいましたからね」としみじみ語る彼は、これからはMSCやD1地方戦などにステージを移す。
学ドリで会えなくなるのはちょっとさみしいけど、いっしょに学ドリの歴史を創ってくれた立役者の活躍を祈って見送ろうじゃないか!
学ドリには、国家公務員の立場を捨ててまで
賭ける意義がある!
新しい仲間も、
こんなにできるとは思わなかった!
去年23才にして学ドリに初参加。遅咲きのデビューには理由があって、じつは彼、元警察官の出戻り学生なのです!
「コソコソとドリフトしてたけど、思いっきりやりたくて」と奮起して2年間勤めた警察を辞職。看護学校に入学して学ドリをめざしたんだ。
去年はじめて体験した学ドリの楽しさは衝撃的で、この1年「またあの場所に戻りたい! そして勝ちたい!」と走り込んだ。看護学生という立場上時間の自由度も少なく、学校内でドリフトしてるのは彼ひとり。そんな環境に心折れそうになったことも多々あり「友だちと飲んでるときに自分だけ輪のなかに入れてない気がして、大勢のまえで泣き出したこともありました」と振りかえる。
そして今年、仲間たちの応援メッセージをまとったアルテッツァで彼は学ドリの舞台にふたたび立った。今年が最後の挑戦。悔いの残らぬよう、走りも仲間との交流もすべてを全力で取り組んだ。それは外から見てもわかりすぎるくらいで、その証拠にドリ天編集部には川田くんの楽しそうな笑顔の写真が大量に残っている。
"楽しむ"と同時に掲げていた"勝つ"という目標は、雨を味方につけてベスト8まで進出し、実現する可能性もあった。負けた相手がおなじように雪ドリで鍛錬した北海道の杉下くんだったからか、すべてを出し切った走りに未練はなさそうだった。
「なんのためにドリフトしてるのか、うまくなってどうするのかと聞かれても、そんなのわからない。でも、この先ドリフトを続けられなくなる事情ができるかもしれない。だからいま夢中になれるドリフトに全力で打ち込む。それがいまを生きている証だと思います」という応募時の意気込みは、安定した生活を捨ててまで青春を取り戻した彼が言うとすごく説得力があるよね。
目標は、打倒・元チャンプ!
実力を認めさせるには、
エスニで勝たなくちゃダメなんです!
志水くんが走りの師匠と仰ぐのは、3年まえに学ドリの頂点に立った福島哲雄くん。去年はJZZ30ソアラでベスト8に進出し、翌年の活躍も期待されていた。しかし、今年はむずかしいとされるS2000で出場してきた。
乗り換えの理由は、師匠への挑戦。そして、学ドリ出場は師匠への恩返し。福島くんが社会人になってS2000に乗り換えてセットアップに苦労しているのをずっと見てきた彼は、慣れ親しんだソアラを売却し、おなじクルマを購入し、ともにセットアップに励んで来た。そして、師匠のノウハウをすべて受け継いだ。そして、その集大成の発表の場を学ドリに選んだんだ。
「エスニで優勝したら認めてもらえるし、自分でも『超えたな』と思える」と意気込んで臨んだ当日、予選で古口ちゃんが志水くんのクルマでデモランすることに(ドリ天の策略)。カンペキなデモランを見た志水くんと福島くんは「オレたちのクルマ作りはまちがってなかった!」と自信がついたそうだ。その反面、プレッシャーも大きくなったみたい。「むずかしいクルマ」のイメージがいきなり払拭されちゃったワケだからね。
しかし彼は無難に予選を通過し、雨の1回戦も6位で通過。S2000という車種が足かせになっているようにはまったく見えず、むしろ機敏な動きが好印象だった。
しかし2回戦、走行直前に激しくなった雨に対応できず、2本ともまさかのスピン。この結果には本人や仲間はもちろん、ギャラリーからもため息がもれた。
「留年してまで学ドリにしがみつきたくない。若いヤツらに席を空けたいし」と考えているから、今年がS2000で最初で最後の学ドリだった。結果的に目標を果たせなかったけど、ひとつの目標に向けてポリシーを貫いた志水くんのチャレンジ精神には拍手をおくりたい。
地震で亡くなったセンパイに誓ったんすよ!
「学ドリで目立ってくるぜ!」って!
3月11日の東日本大震災でなんらかの被害を受けたひとは学ドリ出場者にもたくさんいて、高崎くんもそのひとり。被災して不自由な生活を余儀なくさせられただけでなく、走りの師匠をふたりも失った。
もともとFFでドリフトをはじめた彼は、今年のはじめにNAのスカイラインをゲット。FF時代から?師匠?と慕っていたふたりのセンパイもFFあがりのスカイライン乗りだったこともあり「オレがコイツで学ドリに出て目立ってきます!」と誓っていたそうだ。
ライフラインが復旧しはじめたころ、状況が状況だけにドリフトを続けるか悩んだそうなんだけど「亡くなったセンパイとの約束を果たさなきゃ!」との想いから迷いを断ち切ってクルマの製作を再開。「使えるモノがあったら使ってやってほしい」と亡くなったふたりの家族から申し出を受けたこともあり、形見としていくつかのパーツを受け継いだんだ。
そんな経緯だからプレッシャーもあったみたいだけど「絶対に約束を果たす!」という決意で大会に臨み、朝から「形見パワー」とデカデカとガムテで書き、大会までの経緯をドリ天スタッフに語ってくれた。聞けば重い話だけど、彼のまわりにはまったく悲壮感がなく、逆に形見パワーをネタにするくらいで、だれよりも学ドリの場にいることを楽しもうという思いが伝わってきた。
結果は2回戦進出。「予選通過が目標だったんで、これで上出来です!」とすがすがしい表情だった。目標の「目立つ!」は120%果たせたからだろう。
震災を受けて自粛するイベントも多いなか、被災者である彼がこうして元気に走ってくれてこっちも安心したし、おなじ被災ドリフターにも「自分だけじゃないんだ!」って勇気を与えたことだろう。
OBの活躍や後輩の成長で
プレッシャーが大きかった!
結果は悔しいけど、
なんだか安心感でホッとしちゃいました!
名門NATSのOBたちが「今年の期待の星はコイツ!」とプッシュしていたのが馬場くん。小学生のころに知った学ドリに憧れ、北海道から千葉のNATSに進学すると、浅沼、姉帯ら学ドリで活躍した偉大なセンパイのもとでウデを磨いてきた。
じつは去年も参加予定だったものの、ストリート活動が学校にバレて愛車を没収されてしまい、泣く泣く出場をあきらめたそうだ。「そのぶん初出場でぜってー目立ってやる!」と今年に向けてさらに走り込んだ。
NATSのなかではまとめ役的な存在で、年上からも年下からも慕われているんだけど、とくにひとつ年下の田口くんとは同郷ということもあり仲がいい。「知り合ったその日に『オレが面倒見てやる』っていわれて、ついていこうって思いましたね」と田口くんに言わせるほどだ。
学ドリ当日もそれまで不調だった田口くんのことを気にかけつつ「センパイとして負けは許されないッスから!」と最大のライバルとして意識していたそうだ。
結果は馬場くん4位で、田口くんは優勝。「後輩に負けた悔しさはありました。でも1月から学ドリのために生活のすべてを賭けてきて成績も残せたんで、肩の荷が降りてホッとしたのが正直なとこですかね」といまの心境を語ってくれた。彼がどれだけ今年の学ドリに賭けていたかがわかる発言だよね。
「来年こそは田口を倒します!」とリベンジを誓う反面、今年ベスト8で対戦した田島くんからは逆にリベンジ宣言を受けているそうだ。
こうやって学ドリの戦いをほかの場に持ち込みながら彼らが成長していってくれたら、ドリ天としてもうれしいかぎりなのです。
順位とかじゃなくて、
カッコよくキメたかった…
後輩連中に「すげぇセンパイだった」って
言われたくてさ…
学校公認の?ドリフト部?を有する関東工業自動車大学校で、彼は創設当初からエースとされていたのにもかかわらず、去年は2回戦どまり。来年は卒業だから、今年に賭ける情熱はハンパじゃなかった。
時間があれば走行会に参加し、藤野秀之くんやドリフト侍らに師事し、ホンキでD1SLを狙っている。ドリフト部という恵まれた環境に身を置きつつ「環境に甘えたくない」とあえて距離を置くこともあったというほどストイックな考えの持ち主でもある。
オバカなお祭り野郎が多い学ドリ参加者のなかで、彼はつねにクールを装ってきた。ドリフト部として結果を出さなくてはならない責任感はもちろんある。お祭り騒ぎが重要なことも理解している。しかし「部活でドリフトやってるヤツなんか苦労知らずだ」と思われ敵視されることも想定している。感情と立場のコントロールは大変だっただろうな。
だから、とことんカッコよく決めたかった。当日の展開も彼なりの美学があり「つねに全開じゃなくていいんスよ。チョロチョロ勝ち上がって、ここ一発ってとこですげぇ走りキメて勝つ!ってのがカッコよくないですか?」と言っていた。
そして、宣言どおり順当に(無難に!?)勝ち上がり、ベスト8でNATSの馬場くんと対戦。学ドリ名門校と目される専門学校どうしの対戦に、本人たちよりもまわりが盛りあがった。審査員の予想では「田島のレベルのほうがちょっとうえ」だったと思う。
しかし、結果は馬場くんの勝ち。「年下だしノーマークだったから負けるとは思ってなかったですね」と、直後は声のかけようもないくらい落胆していた。
「順位だけじゃなくて、やっぱ後輩にカッコいいところを見せられなかったのは悔しいですよね。たいしたことねぇセンパイだと思われたくなかったから」と、クールなエースは涙を隠すように喧噪から立ち去って行った。