カーテンコール2008

カーテンコール

応募用紙に込められた熱い想い

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いつかヤメたそのときのために
「オレの青春、カッコよかったな」
と思えるように、全力で挑みます!

名古屋工業大学 愛知県名古屋市在住 23才
吉野修治

浪人時代に知った学ドリ、それは衝撃的だった…

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 浪人時代にたまたま手に取ったドリフト天国。そこには2004年の学ドリ西日本大会(セキヤヒルズ)の結果が載っていた。チャンピオン矢野…? どっかで見たことある…。よーく思い出すと自分の兄の友だちではないか! ドリフトなんて自分にはムリだろう、浪人だし…と思っていた当時のオレに、フツフツと熱いナニかを蘇らせた。
「いまは浪人しているけど、大学に入ったらオレも絶対ドリフトしてやる!」。そんな思いがだんだん強くなって、次第に「西日本大会で絶対にチャンプとってやる」という思いに変わってきた。
 縁あって2005年西日本チャンプと知り合う機会があった。C33ローレルにこだわる野口さんだ。走りを見て一発で野口さんの走りに魅せられてしまった。コースに感情をたたきつつけるかのような激しい走り、音、ボロさ。知り合った当時、オレのスカイラインはRB20が載っていて、SRを積む予定を立てていたのだが、そんな計画は一瞬で吹き飛んでしまった。RB25しかない! よくわかんないけど「SRにくらべてエンジンだけで100重い」とか「SRのほうが絶対いい」と言われながらもその2週間後にはオークションでRB25を買ってしまっていた。
 SRじゃ自分の気持ちを受け止めてもらえない。RB20もいいけどちょっともの足りないし、RB26じゃダメなのだ。RB25じゃなきゃ! とにかくその気持ちでいっぱいだった。 浪人時代にたまたま手に取ったドリフト天国。そこには2004年の学ドリ西日本大会(セキヤヒルズ)の結果が載っていた。チャンピオン矢野…? どっかで見たことある…。よーく思い出すと自分の兄の友だちではないか! ドリフトなんて自分にはムリだろう、浪人だし…と思っていた当時のオレに、フツフツと熱いナニかを蘇らせた。
「いまは浪人しているけど、大学に入ったらオレも絶対ドリフトしてやる!」。そんな思いがだんだん強くなって、次第に「西日本大会で絶対にチャンプとってやる」という思いに変わってきた。
 縁あって2005年西日本チャンプと知り合う機会があった。C33ローレルにこだわる野口さんだ。走りを見て一発で野口さんの走りに魅せられてしまった。コースに感情をたたきつつけるかのような激しい走り、音、ボロさ。知り合った当時、オレのスカイラインはRB20が載っていて、SRを積む予定を立てていたのだが、そんな計画は一瞬で吹き飛んでしまった。RB25しかない! よくわかんないけど「SRにくらべてエンジンだけで100重い」とか「SRのほうが絶対いい」と言われながらもその2週間後にはオークションでRB25を買ってしまっていた。
 SRじゃ自分の気持ちを受け止めてもらえない。RB20もいいけどちょっともの足りないし、RB26じゃダメなのだ。RB25じゃなきゃ! とにかくその気持ちでいっぱいだった。

いよいよオレが出場する番だ!

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 そうこうしていると2007年の学ドリがやってきた。3年生にしてはじめての学ドリ参加だったが、そのつぎの年につながればと思い参加した。
 RB20ではパワーが足りなかったが、どうせ載せ換えるんだからと学ドリ前日までなにかしらイジっていた覚えがある。東から西日本大会のあいだの1週間、VG30DET用タービンにRB20アクチュエーターを取り付けた“学ドリスペシャルタービン”に載せ換えて参加した。とにかくぶっこわれてもいいと思ってイジっていた。
 けっきょく2007年の結果は、東日本大会でパイロン卍100点こそ取れたものの、1回戦通過、西日本大会でも2回戦通過と、あまりさえなかった。
 学ドリが終わってとにかく悔しくて悔しくて、1週間後にはRB20を捨てた。ついに待望のRB25を載せるときがやって来たのだ。変換ハーネスなんて高くて買えないから、ディーラーと自動車部のガレージを3週間往復し続けた。エンジンのかかったときの感動はいまでも覚えている。これでようやく勝負できるクルマになった。2008年は見ていろ! そんな気持ちだった。 そうこうしていると2007年の学ドリがやってきた。3年生にしてはじめての学ドリ参加だったが、そのつぎの年につながればと思い参加した。
 RB20ではパワーが足りなかったが、どうせ載せ換えるんだからと学ドリ前日までなにかしらイジっていた覚えがある。東から西日本大会のあいだの1週間、VG30DET用タービンにRB20アクチュエーターを取り付けた“学ドリスペシャルタービン”に載せ換えて参加した。とにかくぶっこわれてもいいと思ってイジっていた。
 けっきょく2007年の結果は、東日本大会でパイロン卍100点こそ取れたものの、1回戦通過、西日本大会でも2回戦通過と、あまりさえなかった。
 学ドリが終わってとにかく悔しくて悔しくて、1週間後にはRB20を捨てた。ついに待望のRB25を載せるときがやって来たのだ。変換ハーネスなんて高くて買えないから、ディーラーと自動車部のガレージを3週間往復し続けた。エンジンのかかったときの感動はいまでも覚えている。これでようやく勝負できるクルマになった。2008年は見ていろ! そんな気持ちだった。

D1SL経験者? MSC優勝? オレにはそんなの関係ねー!

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 と、これまでの話を書いてきたが、とにかく西日本大会なのだ! 自分にとっては東日本ではなくすべては西日本大会。そこでチャンプをとってこそ意味がある。本当にチャンプ取れるかはわからないけど、いよいよボクがドリフトをはじめるときに誓った「2、3年やってダメならドリフトなんてやめてしまえ」という思い。その2、3年後が今年の学ドリ西日本大会なのだ。
 いままでの青春をかけた最後の大会。名古屋大学の市川さん、神戸高等学校の西尾くん。たしかに自分よりうまいし格がちがう。ふたりとも西日本大会に出場するというウワサがボクのところに入ってくるけど、内心、そんなの関係ねぇー! D1に出ていようがMSC全国の権利があろうとボクにとっては関係ないのだ。「学ドリであたったらガチで勝負! ぶっ○ろす! ぶっ○ろしてやる!」と思っている。こっちだって青春を賭けた最後の大会なのだ。
 去年の西の準優勝であり、大学の先輩の園貞さんにも「市川出るよ?」とか言われたけど、相手がうまかろうと、自分の力を出し切るだけ。それができなきゃ去年の二の舞になってしまう。とにかく今年は大学時代の青春をかけた最後の大会だと思って臨みます!
 去年の大会でドリフト侍に言われた「いつかやめたそのときにために」という言葉がいまでもひっかかっている。いつかみんなやめるのだ。やめたときに「オレの青春カッコよかったな」と思えるように、後悔しないように、全力で挑みます。ドリフト侍、ドリ天編集部のみなさん、どうかボクの最後の熱い走りを見てやってください。やりますよ!! と、これまでの話を書いてきたが、とにかく西日本大会なのだ! 自分にとっては東日本ではなくすべては西日本大会。そこでチャンプをとってこそ意味がある。本当にチャンプ取れるかはわからないけど、いよいよボクがドリフトをはじめるときに誓った「2、3年やってダメならドリフトなんてやめてしまえ」という思い。その2、3年後が今年の学ドリ西日本大会なのだ。
 いままでの青春をかけた最後の大会。名古屋大学の市川さん、神戸高等学校の西尾くん。たしかに自分よりうまいし格がちがう。ふたりとも西日本大会に出場するというウワサがボクのところに入ってくるけど、内心、そんなの関係ねぇー! D1に出ていようがMSC全国の権利があろうとボクにとっては関係ないのだ。「学ドリであたったらガチで勝負! ぶっ○ろす! ぶっ○ろしてやる!」と思っている。こっちだって青春を賭けた最後の大会なのだ。
 去年の西の準優勝であり、大学の先輩の園貞さんにも「市川出るよ?」とか言われたけど、相手がうまかろうと、自分の力を出し切るだけ。それができなきゃ去年の二の舞になってしまう。とにかく今年は大学時代の青春をかけた最後の大会だと思って臨みます!
 去年の大会でドリフト侍に言われた「いつかやめたそのときにために」という言葉がいまでもひっかかっている。いつかみんなやめるのだ。やめたときに「オレの青春カッコよかったな」と思えるように、後悔しないように、全力で挑みます。ドリフト侍、ドリ天編集部のみなさん、どうかボクの最後の熱い走りを見てやってください。やりますよ!!

運命の準決勝 有言実行の男は名阪に散った

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予選のパイロン卍で100点満点を獲得し、順等に勝ち上がって迎えた準決勝、相手はここ名阪で開催されたMSC関西大会で優勝して波に乗る西尾。「優勝候補だろうが、なんだろうがオレにはカンケーねー」の言葉どおり、今日イチの進入速度でアプローチ。しかし、ほんの少しオーバースピードだったか…。赤いスカイラインは「ガシャーン」という音とともに1コーナーのカベに吸い込まれてしまった…。

彼はドリ天が考案した予選方式“パイロン卍”を心から楽しんでくれ、だれよりも巧みに駆け抜けた。結局いちども表彰台にのぼれなかったけど、2年連続パイロン王子は立派な記録だと思うぞ。

ほとんど全損の愛車をチェックするより先に「オレのミスです」と言って、審査席そばのギャラリー席の仲間たちに「スマン! やっちまった!」と手を合わせて叫んだ吉野。一瞬遅れて大きな拍手が沸き起こった。それは、決勝戦が終ったときよりも大きな拍手だった。

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